<女王陛下の地方視察>
(エリオーネ)「やれやれ。陛下も困ったものですね」

 宰相エリオーネは、嘆息していた。
 アリーナ女王は、どこで聞きつけてきたやら、現在抱えているちょっとした問題について小耳に挟むや、すぐに地方視察の御意向を示されたのであった。
 机について仕事するのが性に合わないというのは分かってはいるが、何かと口実を見つけては外に出たがるのは困ったものだ。
 おかげで、穏便にすませようかと思っていたこの問題も、そういうわけにもいかなくなってきた。
 だから、丸くおさめるためのシナリオを考えているところであった。

 サントハイム初の女性宰相エリオーネ。
 年齢は、アリーナと同じ。
 下級貴族出身の女性、アリーナ王女付侍女という立場でありながら、アリーナ王女派(現在は、女王派)を率いて、守旧派と互角の政治闘争をやってのけた女傑である。
 アリーナ即位直後の反乱謀議事件をあばき出し、関与していた守旧派の貴族たちを根こそぎ粛清してみせた手腕はまだ記憶に新しいところだ。
 その功績もあって、彼女は宰相に任ぜられた。王国官職任命法の改正によって、身分差別及び男女差別が撤廃されたからこその快挙であった。
 宰相としての働きぶりもたいしたもので、アリーナの信任はあつかった。



 エリオーネは、考えをまとめると、大蔵大臣グレーンのもとを訪れた。

 グレーンは、アリーナ政権下では唯一の守旧派の大臣で、大貴族の出身であった。
 アリーナ政権下では最高齢の大臣であったが、歴代大臣の平均年齢からすれば充分に若い。要するに、アリーナ政権下の大臣たちは、歴代政権に比べて若すぎるということでもあるのだが。
 彼は、反乱謀議事件には関与していなかったため、政治生命を絶たれることなく、現在は勢力が縮小された守旧派の首領という立場にある。
 アリーナがわざわざ大蔵大臣という重要ポストに任命しただけあって、彼も有能な人物であった。

(エリオーネ)「一応、守旧派の首領でもある貴公の御意見をお伺いしたい」
 エリオーネは、問題の概略だけを説明した。
(グレーン)「彼は小悪党ですよ。かばう価値もありませんな。彼が守旧派に残っているのは、それ以外に居場所がないからにすぎない」
(エリオーネ)「貴公も辛辣ですね」
(グレーン)「宰相閣下ほどではないと思うがな。あなたがたの女王派に対抗していくためには、これぐらいのシビアさは必要だ」
(エリオーネ)「やはり、貴公は女王陛下の政府の一角を担うに相応しい人物ですね。頼りにしておりますよ」
(グレーン)「単にこき使われているとしか思えんがね。それでどうしようというのだ? 彼は小悪党だが、ずる賢い男でもある。こちらに尻尾をつかませるようなことは今まで一度もなかったはずだ」
(エリオーネ)「ええ。その点で少し困っていたところなのですが、陛下がこの件について興味を示されましてね。彼の領地への視察の御意向を示されています。その際に、徹底的に調べてみようかと」
(グレーン)「なるほど。直接調べてみれば、何か証拠が見つかるかもしれませんな。証拠が見つかったら、即処罰ですかな?」
(エリオーネ)「いえ、そこまでするつもりもありませんよ。私服を肥やしているという点を除けば、彼の領地内の統治はおおむね悪くはないですからね。小心者の小悪党なら陛下がひとにらみすれば心を入れ替えるでしょうし、事を荒立てるまでもないでしょう」
(グレーン)「ほう。閣下がそれほど恩情深いとは知りませんでしたな」
 反乱謀議関係者の大粛清は、グレーンの脳裏にもしっかり記憶されていた。
 アリーナの恩情により死刑こそ免れたが、首謀者たちは根こそぎ身分及び領地を剥奪されて、国外追放になっている。エリオーネは、その作業を淡々と指揮し、たいした混乱も招くこともなく終結させていた。
(エリオーネ)「単に国政の効率的な運用を考慮しただけです。領地を取り上げれば、政府で直轄統治する必要が生じますが、現状ではその余裕はありませんし。この点に関しては、むしろ貴公の方がよく理解していただけると思っておりますが」
(グレーン)「まあ、そうですな。直轄統治となると費用がかさみますからなぁ。避けるに越したことはありません」
(エリオーネ)「それに、領地を取り上げると後始末が面倒くさいですからね」

 反乱謀議に関与していた貴族たちは領地を取り上げられていたが、その領地の措置については宙ぶらりんのままであった。早い話が、その領地をどのように分配するかで、女王派と守旧派が激しく対立しており、収拾がつかない状態だったのだ。
 エリオーネやグレーン自身はまったく執着していないが、どちらの派閥にも、領地という利権は多いに越したことはないと考える人間は存在している。
 だから、いまだに政府直轄統治のままであり、その費用のやりくりにグレーンを頭を抱えていた。



 数日後。



 アリーナ女王と夫君のクリフトが訪れると、街の住民はもろ手を挙げての大歓迎であった。
 アリーナは女王とは思えないほどの軽装(さすがにミニスカートではないが)で、街の住民にも気さくに声をかける。声をかけられた方は感激しきり。
 街を揺るがさんばかりの喧騒で、英雄女王のカリスマを知らしめるには充分すぎるほどであった。

 二人は、さっそくこのあたりの領地を治めている領主の館に入った。
 領主は型どおりの歓迎の挨拶を述べ、女王夫妻を奥の部屋に案内した。
 彼は、二人の後ろに宰相エリオーネがついてきているのを確認すると、不安げな表情になった。
 よほどの重要案件でもない限り、女王夫妻が外に出るときは、宰相は城で留守を守っているのが通例である。外交の場合は外務大臣がついていれば足りるし、王国内ならば内務大臣か誰かがついていれば充分だ。たかだか地方視察に宰相がついてきているのは、不審をいだかせるには充分すぎた。

 お茶とケーキを出されて、世間話などに興じるアリーナではあったが……。
(アリーナ)「そういえば、貴公についてよからぬ噂を聞いたぞ」
(領主)「なんでございましょうか?」
(アリーナ)「王国政府に税収を過少報告し、その分を懐に収めているなどという噂だ」
(領主)「根も葉もない噂でございましょう。陛下ともあろうお方が、そのような戯言を信じられるとは思いませんが」
(アリーナ)「まあ、そうだがな。だが、こんな噂が立つこと自体、貴公にとっても王国にとっても望ましいことではない。そこで、この噂が根も葉もないものであることを証明しておいた方がよいと思うのだ」
 そのあとをエリオーネが引き継いだ。
(エリオーネ)「この街の貴公の資産について調べさせていただきます。貴公から御報告いただいている資産報告とつけあわせて、齟齬がなければ、このような噂は戯言として片付けられるというものです」
(領主)「そういうことであれば、協力は惜しみません。わたくしめのためわざわざそこまでしていただけるとは、ありがたき幸せにございます」
 そういいつつも、領主の表情には不安が浮かんでいた。
 領主も、浮かせた税収は厳重に隠してあったから、見つかるとは思っていなかったが、それでも万が一のことを考えると、不安がよぎるのも無理はない。
(エリオーネ)「それでは、さっそくとりかからせていただきます」
 エリオーネは、帯同してきた役人たちを率いて、さっそく調査に入った。

 その間、女王夫妻は街を散策していた。じっとしているのが嫌いなアリーナらしい態度ではあった。



 入念な調査の結果、資産報告との間に齟齬は発見されず、領主に関するよからぬ噂は単なる戯言であることが証明された……かのように思われたのだが……。



 夜、領主の館の一室で眠りについていた女王夫妻のもとに来訪者があった。
 エリオーネであった。
(エリオーネ)「陛下、夜分に失礼いたします」
 アリーナとクリフトは、来訪を予期していたかのようにすぐに起き上がった。
(アリーナ)「かまわんぞ。どうだった?」
(エリオーネ)「見つかりました。巧妙に隠されていたので、発見するのに難儀いたしましたが。中を確認して、わたくしも驚きましたよ。金塊が山のようにありました。大蔵大臣殿も思わぬ臨時収入に喜ぶことでしょう」
(クリフト)「長年にわたる犯行ということですか」
(エリオーネ)「そういうことになりますね。というわけですので、明日は手はずどおりに」
(アリーナ)「分かった。あの領主が狼狽する様子が楽しみだな。ところで、その金塊はすべて国庫に収めることになるのか?」
(エリオーネ)「当然です。未納税金ということですからね」
(アリーナ)「一部を領民への施しにまわせないか? 少しでいい。せっかく、領主の悪をあばいたというのに、あがりを全部王国の方でもっていっては、領民も納得すまい」
 アリーナのこういう感覚は、天性なのかあの旅の経験の賜物なのか。どちらにしても、感心するばかりである。民心をつかむことにかけては、世界中を探しても、彼女にかなう国家指導者はいないだろう。
(エリオーネ)「大蔵大臣殿の説得を陛下がしてくださるのであれば」
 エリオーネとしては、このような些細な問題で、グレーンと対立することは避けたいところだった。ただでさえ、対立している事項が多すぎるのだから。
(アリーナ)「分かった。それは私の方で引き受けよう」
(エリオーネ)「かしこまりました。そのように手配いたします」



 翌朝。
 早朝から外が騒がしいことに気づいた領主は、館を出た。
 騒ぎの中心に急ぎ足で歩を進めると、エリオーネの指揮のもとで政府の役人たちがせっせと金塊を運び出している様子が目に入った。よく見ると、地面にぽっかりと地下への階段現れていた。
 そこは、領主の隠し倉庫への入り口だった。
 領主は一瞬青ざめたが、表情を取り繕うと、アリーナに近づいていった。

(領主)「これはいったい何の騒ぎですかな?」
(アリーナ)「おお。そういえば、貴公には話していなかったな。実は、王国の倉庫から古い文献が見つかってな。将来王国が貧しくなった場合に備えて、ここに隠し倉庫を作って財宝を隠したと書いてあったんだ。古い文献だったし、私も半信半疑だったのだが、調べてみたら本当に見つかった。王国の財政も厳しいからな。さっそく使わせていただこうというわけだ」
 領主は、呆然とするばかりであった。
 目の前でせっせで運び出されていく金塊は、紛れも無く領主の隠し財産だ。しかし、それは本当は自分のものだといってしまえば、資産報告で虚偽の記述をしていたことを自白するも同然だった。

 街の住民たちは、領主の間抜けな顔を、内心笑いながら眺めていた。
 みんな、アリーナたちに拍手喝采したいぐらいの気分だろう。

(アリーナ)「さて、そろそろ、朝食でもいただこうか」
(領主)「は、はい。ただいま準備させます」
 アリーナは、領主の横に並ぶと、立ち止まって一瞬だけ領主をにらみつけた。そして、周囲に聞こえないようにささやいた。
(アリーナ)「今回はこれでおさめてやるが、次はこれぐらいではすまさんぞ」
 ささやくような声であっても、その迫力はそこらの軟弱貴族なんぞとは比べ物にならない。
 領主は、顔面を蒼白にして、震え上がった。
 硬直した領主を置き去りにして、女王夫妻は、館へと歩を進めた。
 しばらくしてから、硬直が解けた領主が、悄然とした足取りで後に続く。

 朝食をとったあと、女王夫妻は、住民たちの歓声に見送られて帰途についた。



 後日。



 エリオーネは、執務室でせっせと仕事をしていたが、一枚の報告書に目をとめた。
 例の領主の関する秘密報告書であった。あの一件以来、すっかり心を入れ替えたようで、不正などの兆候は一切見られず、統治はおおむね良好とのことだった。まことに結構なことであった。
 ひととおり読み終えると、女王陛下行きの書類箱に放り込んだ。

 そこに、女王秘書官が来訪した。
(女王秘書官)「閣下。少しばかりご相談がございます」
(エリオーネ)「何でしょうか?」
(女王秘書官)「陛下が、また地方視察の御意向を示されています。どこぞで聞きつけたのか、珍しい祭りがあるそうでして。しかし、どうやりくりしても、御公務が詰まっておりまして、日程的に不可能なのですよ」
(エリオーネ)「ならば、そのように申し上げればよろしいのでは?」
(女王秘書官)「陛下は、どうしても行くと駄々をこねられまして」
(エリオーネ)「それを説得するのが貴官の役目でしょうに」
(女王秘書官)「わたくしごときの手には余ります」
(エリオーネ)「クリフト殿下は?」
 アリーナに対しては、夫君のクリフトの説得が絶大なる効果がある。それは、城内の誰もが知っている事実であった。
(女王秘書官)「ミリーナ殿下の説得に屈しました」
 アリーナの手綱を締めるのがクリフトの役回りではあったが、彼は娘のミリーナ王女には激甘だった。
 アリーナもそれが分かっているのか、ミリーナをけしかけて、クリフトをかわそうとすることがときどきあった。
 御家族そろって祭りに行くというのはまことにほほえましい光景ではあろうが、アリーナには公務を優先してもらわねば困る。
(エリオーネ)「分かりました。大蔵大臣殿を呼んできてください。予算面の理由付けで、陛下を説得いたしましょう」
 たかだか地方視察でも、王が動けば何かと費用がかかるのだ。王女時代とは違って、お供が二人だけというわけにもいかないのだから。何度も視察にいけるほどの予算は確保されていないはずだった。
先日の大量の金塊があるだろうといわれるかもしれないが、貧民への施しに回されたごく一部を除いては、すべて王国の借入金の返済にまわされることに決まっていた。大蔵大臣の強硬な主張が通ったのだ。
(女王秘書官)「ありがとうございます」

 たかだか地方視察をあきらめさせるのに、重臣が二人掛かり。まことに困った女王陛下であった。
 それでも憎めないのは、やはりお人柄なのだろう。

 女王秘書官が退室していったあと、エリオーネはつぶやいた。

(エリオーネ)「やれやれ。陛下も困ったものですね」

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