< 双月 >
- On the night before the decisive battle -
第1話 『銀の月』
バブイルの巨人内部での戦いの後、セシルたちは
すでに発ったフースーヤとゴルベーザの後を追って月に向かうため、
一度ミシディアの地に戻って旅立ちの準備を進めていた。
その出発が明日に迫った夜のこと――
Phase-1 昇る宵月
キィン――
指で弾かれたグラスが済んだ音色を奏でる。
注がれていたワイン、
そこに映る私の沈んだ顔が歪み、揺れた。
仄かな明るさの店内――
ここはミシディアに一軒しかない女性専用の酒場『銀の月』。
多くの女性たちが歓談の夜を楽しむ場所。
陽も落ちて、賑わいを見せ始めた店内は
さすがは魔道士の国ミシディア。
テーブルのほとんどが裾の長いローブを纏った魔道士たちで
埋め尽くされていた。
帽子を取り、フードを外し……
訪れた女魔道士たちは、普段顕わにすることの少ない顔を
ランプの前にさらけ出し、厳かな雰囲気から一夜離れ、
仲間たちと親しげに言葉を交わしている。
華やかな高笑が湧く。
そんな中、
私はカウンターの片隅で独り、喧噪を背にグラスを傾けていた。
口内に流し込まれるワイン。
それを口に含み、転がし、飲み下す。
そして、最後に「ほぅ」と酒気を帯びた溜息が洩れる。
それはゆったりと流れる音楽に満ちた室内に溶けていく……。
と――
「あ、やっぱり……」
そんな言葉が耳を掠めたような気がした。
場違いな無邪気さの滲む声……。
どこか引っかかったものの、私は酔っていたこともあって聞き流す。
すると、近づいてきた足音は真後ろで止まった――
「ローザ、こんな所にいたんだ」
「……?」
ハッキリと名を呼ばれ、私は声の方に視線を向けた。
聞き慣れた声。思った通り……リディアだ。
彼女は、ホッとしたような顔付きでそこに立っていた。
壁際のランプが醸し出す柔らかな光が、鼻梁を浮かび上がらせている。
不意に整った眉を顰めると、溜息混じりに憤慨の声を上げた。
「もうっ! みんな勝手に宿から居なくなっちゃってさ。
あたし、ずっと探してたんだよ…………って」
と、続く言葉を飲み込んで目を丸くする。
「あ――ローザ、飲んでるの?」
「あら……」
意外そうな顔で覗き込んでくるリディア――
その場違いなセリフに、私は鼻梁を突きだして鼻を鳴らす。
「ここは酒場よ。リディア。
酒場に来てお酒を飲まない方が可笑しくはない?」
と、上気した顔に婉然とした微笑を湛えてリディアを見返した。
ますます意外そうな顔――
彼女は私の軽い反駁にちょっぴり戸惑ったのか、
奇異な視線を走らせて……噴き出すようにクスッと笑った。
「確かにそうよね……。
でも、ローザにしては珍しいと思っちゃったの」
「珍しい?」
私は、きょとんとする。
その答えが予想外だったからだ。
彼女はコクリと頷くと、空いていた私の隣の椅子に滑り込んだ。
「そっか……珍しい……か」
私は小さく独りごちる。
そして、応えるように笑みを零した。
「確かに久しぶりね、お酒を飲むなんて」
「うん、あたし酔ってるローザなんて初めて見た」
「そう……?」
残っていたワインをグラスの中で転がす。
ランプの明かりを受けて赤く輝く――
私はリディアに向かって小さく笑い、これ見よがしに口内へそれを流し込んだ。
そして、ほんのり上気した顔を向ける。
「こう見えて、私って割りとイケる口なのよ。
昔、口うるさい父に腹を立てて、よく部屋で隠れて飲んだわ」
「ふぅん、そうなの? すごく意外~」
「ふふっ、そんなに私らしくない?
ん~、私ってそんなに良い子ちゃん振ってたかしらねぇ……」
口に端から苦笑が零れる。
冗談めかして言った言葉だが、半ば本気だ。
(以前の私を見たら、リディアはどう思うのかしら……)
私はグラスに残ったワイン一滴に視線を落とし、目を細めた。
――以前。
私には、別にお酒が特別好きってワケじゃないのに
ほとんど毎日欠かさず飲んでいた時期があった。
――ふと目を瞑れば、容易に思い出せる。
アレはちょうど、父が現役の竜騎士を引退した頃のことだったか。
当時、目に見えて口うるさくなった父の顔が思い浮かぶ。
あの頃の父は、その厳めしい顔を合わせるたびに
親友の息子であるカインへの世辞とセシルの悪口を交互に繰り返していた。
カインへの評価は、どれほど良くても別に構わなかった。
仲の良い幼馴染みだったし、その手柄は事実だったから。
それに父の意図は読めていたこともある。
要は、カインと私を結びつけたかったのだろう。
評価に色目を付けるのも理解できた。
――でも、許せなかったのはセシルへの暴言。
禍々しき負の鎧に身を固めたその姿が忌まわしいとか、
負の力がなければ何も出来ないような口振りで彼を罵ってくれる。
歪められた噂や中傷を、さも実話のように語り出す――父。
だが、そんな虚言に私が耳を貸すはずはなかった。
私は誰よりもよく知っていた――彼の優しさを。
その黒き仮面の下に隠されてしまった、眩いばかりの笑顔を。
だから、私はその非道い言い様に対し、猛然と反駁して……。
でも、聞き入られなくて……。
結局、夜まで燻った憤激を部屋に隠したお酒で紛らわす。
その頃の私は……そんな毎日を繰り返していた。
私は嫌だった。
愛しいセシルへの不当な誹りを聞くのが――嫌。
貴族の体面を気にし、素性のセシルを誹る父の顔を見るのが――嫌。
そんな父であっても、父を嫌ってしまう自分が――嫌。
私は変えたかった。
そんな父を……そして、自分を。
白魔道士団に志願したのも、本当はそれが一番の理由。
セシルの傍に近づくだけなら、別に弓猟兵でも良かった。
自分で言うのもなんだけれど弓の腕は確かだったし、
その方が常に前線で戦うセシルの近くに居られたのかもしれない。
でも――魔法が使えたら、自分が変えられるかもしれない――
そんな想いがあったからこそ、私は白魔道士になることを望んだ。
魔法使いになりたい……。
自分に魔法をかけて、自分を変えてしまいたい……と。
そうして――
私は望み通り白魔道士団に入団を果たし、
白魔法の習熟に打ち込むこととなった。
幾つかの癒しの魔法を得、更なる習熟を目指す毎日……。
セシルの助けになる日を夢見て、努力を積み重ね、
遠くなっていく彼の背中に焦燥を感じながら、
それでも私は、願いを秘め頑張り続けた。
けれど、結局……。
私の身につけた魔法では何も変えることは出来なかった。
父を説得し、セシルを認めさせることも。
執拗なまでに軍国化を急ぐ陛下に心を痛めるセシルを癒してあげることも。
私の拙い魔法では、結局何一つできなかったのだ。
そんな中――私はいつのまにか諦めていた。
自分の手で起こす変化を。
自分を変える事なんて、出来やしない――と。
だから、私は待ち続けた。
心の葛藤をお酒で誤魔化しながら。
ただ、自分が、何かが変わってくれる日を待ち望みながら。
何もかもが灰色に見えていた……そんな毎日の中で待ち続けた、ずっと。
私は表向き、ずっと楚々と女性を装い、演じながら、
セシルがバロンを追放となる――その日まで。
もう思い出になってしまった、苦い日々……。
私は小さく嘆息を漏らすと、自嘲の笑みを浮かべた。
「でも、そんなに変に見える?」
空になったグラスを左右に振ると、
戯けた笑みを作ってリディアに笑いかけた。
「……ん、どうかなぁ~
改めて見ると……『大人っぽくて格好いい』かな?」
「格好いい……?」
「だって、お酒を飲むのって何となく大人っぽいイメージがあるでしょ?
それにローザって大人っぽいもの……歳の割に」
「と、歳の割に……」
付け足された言葉がグサッと刺さって「――う゛」と唸る。
すると、自分の言葉の意味に気づいたリディアは、
「あっ」と開いた口を手のひらで押さえて誤魔化し笑いを浮かべた。
「……ご、ごめん。
でも、悪い意味じゃないよ」
「ふんっ、いいのよいいのよ。
どーせ私は老けてるんですから……」
「……ロ、ローザぁ?」
「でも二十歳前におばさん扱いされちゃうなんて、よよよ……」
「あ、え……と、あの、その……」
言葉を探すリディア――
私がぷいっと顔を背けてしくしくと啜り泣いてみせると更に焦って、
「あ~ん。
そんなこと言わないで機嫌直してよぉ~」
お手上げとばかりに縋りつく。
(あらあら……)
私は、顔を覆った指に隙間から盗み見て、
あたふたとする彼女の顔――本気で困っているのを見て取ると、
プッと噴き出すような笑みを浮かべた。
その拍子、覆っていた手が外れて――
顕わになった笑みに、ワケも分からずキョトンとするリディア。
事態が読めないらしい。
私はますます笑みを深めた。
私は一頻り笑って言う。
無防備な顔の彼女に向かって一言――「冗談よ」と。
途端、リディアは――あんぐりと口を開けた。
完全に意表を突かれた……そんな顔だ。
私がめったに冗談なんて言わないから、ものの見事に騙されたみたい。
その変化にまた笑いの止まらない私を見て、
彼女はむすーっと眉間に皺を寄せていく。
最後には、私が先程やって見せたように、
ふてくされた顔をぷいっと背けた。
「……もうっ! 非道いよローザっ!!」
「ごめんなさい、ちょっと悪ふざけが過ぎたわね」
「まさかローザに騙されるとは思わなかったわ。
それに大笑いされるなんて……あ、まだ笑ってるし」
「ホント、ごめんね」
私が手のひらを合わせて「この通り」と頭を下げる。
ここまで見事に騙されてくれるとは思ってなかったけれど、
大人げないというか、何というか……。
純粋培養のリディアには、過ぎた部分があったのは事実だ。
私が素直に謝ると、幸い差ほど怒ってなかったのか、
小さく息を吐いたリディアは、苦笑を浮かべて私を見た。
「ううん、気にしてないから、もういいよ。
ローザも気にしないで……あたしたち、おあいこだしね」
そう言って、互いに仲直りの笑みを交わす。
――と、リディアは急に何かを思い出したかのように、
口元を手で押さえながら含み笑いを洩らした。
「でも、意外って言うか……知らなかったなぁ。
ローザがお酒を飲めるなんて……」
リディアは一人納得顔で二、三度頷くと、
それはすぐに得意げな笑みに取って換わられた。
「エヘッ、実はね~あたしもお酒飲めるんだよ。
幻界に居たとき、おじいちゃんとよく飲んでいたのっ」
「……へぇ~、それこそ意外ね」
ホントに意外。
私は相づちを打って……「ん?」っと眉を寄せた。
「でも、おじいちゃんって……?」
「リヴじいちゃんだよ」
リヴじいちゃん……はて?
首を傾げる。
――と、手を打った。
「あ、それってまさか幻獣王の……!?」
「そそ、幻獣王のおじいちゃん。
無類の酒好きで幻界一の大酒飲みなのよ」
正解~とクスリ微笑む。
彼女はカウンターに頬杖を突いて目を細めた。
「それでね。『娘と晩酌するのが夢じゃった』とか、
『育てた娘との晩酌は男親の浪漫じゃ』とか言って、
お酒を担いであたしの部屋まで来ちゃうの。
……でね、女王様に見つかると怒られちゃうから、
隠れて飲むんだけど、結局いつも見つかっちゃってね。
よくケンカになっちゃうんだ……ふふふっ」
「ケ、ケンカ……なんだか凄そうね」
事も無げに宣うリディアに、私は引きつった笑みを向けた。
幻獣王と女王のケンカって……怪獣大戦争?
「うん、じっさい物凄いんだよ。
女王様なんて、三つある顔ぜんぶ怒りの顔に変えちゃって。
一番酷かったのは……そうそう。
女王様が三つある口ですっごい魔法を使ったときっ!
確か……『アルテマ』とか言ったかな?
失われた魔法なんだけど、物凄い威力でね、
伝わる振動だけでタイタン100人が地響き起こしたんじゃ
ないかって思えるぐらいの……あ、これ内緒ね。
禁断の遺失呪文だから、口外しちゃダメっていわれてるの」
「き、禁断の……遺失呪文…………」
「あ、でも大丈夫だよ。
そんな大暴れするときは、みんなが避難してからだったし、
幻界の結界はそれぐらいじゃ破れないんだって。
それにケンカの方も最後にはおじいちゃんが謝って
丸く収まるから全然心配ないよ」
「…………」
「でも、そのときのおじいちゃんの顔と言ったら……ふふふっ」
また思い出し笑いするリディア。
禁断の呪文がホイホイ飛び交う夫婦喧嘩って……。
私は脳裏に浮かぶ光景に冷や汗しながらも、何とか相づちを打つ。
(まぁ、幻獣を常識で量ろうというのが間違いなんだろうけど……)
思わずくわばらくわばらと心の中で唱えて、
ちょっぴり疲れた溜息で苦笑。
まだ笑っているリディアを横目に私は気を取り直すと、
バーテンダーに自分用のワインの追加とリディア用のカクテルを頼む。
飲めるのなら付き合ってもらおう――そう思ったのだ。
リディアのカクテルは、彼女がどのぐらいお酒に強いのかが分からないので、
とりあえずバーテンに軽めのモノをおまかせで見繕ってもらうことに。
ちなみにこの店のバーテンは――女性だ。
この店のマスターらしいが、歳がそこそこ若く、
その姿は男装の麗人然として、なかなかに似合っている。
バーテンは私の声に一つ頷くと、バックボードからリキュールを幾つか取り出し、
手早く幾つかの果物を絞って、シェイカーへ……。
それをシャカシャカと振り始める。
幻界育ちのリディア――
カクテル作り初めて見るらしく、好奇に目を輝かせて注目。
熟練の手さばきで、アッと言う間に出来上がった色鮮やかなカクテルが
自分の目の前に差し出されると、
「わ、かっこいい~」
と無邪気に感激してバーテンを照れさせていた。
同意を求める視線を向けられた私は、小さく苦笑し頷いた。
――もう、しょうがないわね、と。
「さぁ――」
私は再びワインの注がれたグラスを手にすると、顔の前に掲げる。
「何にしても乾杯しましょうか」
「うん、それじゃ……」
「「かんぱ~い♪」」
キィンッと打ち鳴らされたグラスの音が私たちの間で響いた。
その音色は、どこまでも澄んでいて、透明で……
私の沈んだ心が、ちょっとだけ軽くなった気がした。
☆
それから、どれくらい時間が経っただろうか……。
お酒も入り、ほろ酔い加減でテンションの高くなった私たちの話は
止まるところを知らなかった。
ずっと一緒に旅してきた仲間だ。
共通の話題には事欠かない。
どんな敵が苦手だとか、
何の魔法が得意だとかの実用的な話から、
辛かった戦いの思い出話。
どの街の宿屋が一番良かっただとか、
どこの料理が美味しかったのかなどの他愛のない雑談……。
果ては、セシルが朴念仁だの、
エッジが風呂を覗いただの、
かしましい女の愚痴にまで華が咲いた。
楽しかった。
他の仲間たちにはばかることなく言い合える時間が。
小さい頃のリディアを知っているせいか、
私はずっと『小さな妹』として、彼女を扱ってきた。
家族を失った女の子の為に
なるべく親身になれるお姉さんであろうと、ここまで。
でも――今思えば、勿体なかったなと思う。
だって、折角こんな楽しい時間を共有できるというのに、
ずっとしてこなかったのだから……。
もっと早くこんな親友のような関係に……
……ううん、本当の姉妹のような関係になれたというのに。
私は心底、そう感じていた。
――窓の外、二つの月はゆっくりと傾く。
楽しい時間は、もうすぐ終わりを告げようとしていた。
・第1話 『銀の月』 -迷想の行方-に進みます
・双月まえがきに戻ります
・小説目次に戻ります
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