【第173話】

番外編:みなさんからの感想


次回から、チェルトはようやくアレフガルド突入ですね。

続きももう少ししたら書き始めますのでお待ちくださいね。

 

それにしてもこのチェルトを読んでいる方って

いろいろな方がいるんですね。

下は小学生から、上は40代の方まで、いるようで、

いろいろな方に読んでもらえて、うれしいです。

 

さて、 今回は、第164話~第172話、「子供への想い」編を読んで

読者の方から、頂いた感想で印象的なものをご紹介しようと思います(^^)

 


藤原 光成さん


悲しいホビットの話。

子供かぁ。

苦しい世の中だからこそ、子供の姿に希望を憶えるのでしょうね。

いや、綺麗なこころを持っているからこそ、と言った方が正しいかもしれません。

今の世の中、次代を担う子供の扱いが、

取りまく環境がどんどん悪化の一路をたどっていますよね。

子供に対する意識もおかしな世の中です。

そんな中で投げかけられたこの作品、大変大きな意義があると思います。


生まれることもかなわなかった赤子。

その子に対する親の愛情。そしてやりきれない気持ち。

そして希望も、悲しみを分かち合う最愛の人までも失った男の悲しみ・・。

よく描かれていました。


その話を聞いたチェルトを見て、たぶん俺でも同じ反応をするだろうと思いました。

何も言えない。声がかけられない。かける言葉が見つからない。

そりゃそうでしょう。そんな深い悲しみが言葉で癒せるはずはないのですから・・。


「親より先に死ぬほど親不孝はない」と言う言葉がありますね。

まさに親の子に対する愛情から生まれた言葉だと思います。

しかし最近の親にはこれが少し欠けていることがよく見受けられます。

幼児虐待や捨て子など、結構ニュースで聞くネタです。

そう言う『現代』と言う時代に投げかけた作品では?と思い、大変感服いたしました。


俺も小説書いてますけど、こんなに奥の深い作品、とても書けませんね(^^;)

ただの娯楽小説になってたりしますが安田さんの作品見ていると、

何かでかいこと書きたくなってきます。


さてさて、いよいよアレフガルドですね。(^^)

これからも楽しみです。

光の魂(たま)を持ち、決意を新たにしたチェルトの冒険、期待していますっ(^-^)




グレート・カマさん


今回のチェルトのお話では「流産」が最も心に残りました、

子どもの可愛らしさを肌で知った僕は結婚適齢期に入った

今、無性に子どもが欲しくなりました、

それだけに、今回のお話は子どもを望む者とそれを失った者の気持ちが、

存分に伝わってきて、心に染みるお話となりました、

これからのそんなチェルトのお話に、

期待しています、何話続こうが僕は読み続けますよ、もう一生着いて行きます。


それではこれからも更新楽しみにしてます、感動をありがとうございました。

 


masanoriさん


今日はチェルト読み返していました。


そこで思った事。


最近のニュース見てます?

ここ最近の事件って何でそうなる?って事件ばかり。


子供の母親との付き合いが苦でその子供を殺す。


学校に恨みがある!

その理由でその学校に通う子供をナイフで刺し殺す。


なんで?

かなり屈折した考え方だ。


親同士の付き合いは結構大変だろうと思う。

特に女の人の派閥的な争いはキツイ物があるのだろう。

でもなんで子供を殺すの?

刃の向け所が違うんじゃないの?

何の罪も無い子供を殺すなんて・・・

それも自分も子供を持つ母親なのに!


学校に恨みがある?

先生に嫌な奴がいたのかな?

それともクラスでいじめられたのかな?

よほど辛い事があったのだろう。

でも、なんでその恨みが関係のないただその学校に通っている子供にいってしまうの?

なんで殺さなくてはいけないの?


怖い世の中だ・・・

なにも関係無いのに殺される・・・


殺された子供の両親の気持ちを思うと心が痛む。

僕は子供はあまり好きではない、結婚もしていないので当然子供もいない。

でも、親にとって子供がどれだけ大切なものなのかっていうのはわかる気がする。

世の中で一番大切なものを失う事なんだと思う。

それもあんな殺されかたをしたらやりきれないと思う。


なんで殺ろさなくてはいけないの?

なんで直接的じゃなく間接的に恨みを晴らすの?

なんで関係無い人を巻き込むの?


自分が傷ついていたのなら、関係の無い人に同じ傷を負わせるのじゃなく

逆に癒してあげれるような人になれると思うんだけどな・・・


なんかチェルトと関係無い方向に、それも語ってしまった(汗)

でも親の気持ち、命の尊さということで思った事書いてみました。





まめぞーさん


人が死ぬ・・・

まだ、ぼくには実感できません。

こないだ、おじいちゃん(母の父)が死にました。

急いで飛行機で帰った、その夜

息を引き取りました

なぜか、何も浮かんではきませんでした。

ただ、「死」というものが、音もなく、ぼくの目の前を

流れ去っていくようでした。

小説や、マンガで、人が死ぬシーンを読み

涙を流したことは、何度もあります

しかし・・・、現実の「死」は、何も語ってはくれませんでした

あの時、ぼくは何をしていたのでしょう。

涙に暮れる人々の中、ぼくだけが虚数の海をただよっていました。

人が死んでゆく、その瞬間を見届けるのだと

自分に言い聞かせても、心の中は、黒洞々たる暗闇でした。

しかも、次の日、葬儀のやり方について

議論している親族を見て、その様子に

おかしさのあまり、冷笑すら浮かべていたのです。

「生きている人間は、死んだ人間よりやることがある」

自分では、気の利いた理由のつもりで

葬式にも出ず、一人、帰ってきました。

今考えると、なんと愚かなことを言ったのだと思います。


そんな折りにチェルトを読みました。

死とは悲しいものだと分かってはいても

実感できない自分がここにいました。

幼い子供に先立たれる両親の悲しみ、

実感はできなくても、人の死については、

改めて考えてみようと思います。

そして親孝行をすることも・・・

高校時代、「自分がどう生きようが、どこで死のうが

俺の勝手なこと」と甘えた考えを持っていました。

しかし、大学に入って、その考え方も薄れてきました。

ここまで育ててくれて、そして両親、先祖あっての自分ですから

それを再確認させてくれた意味でも

チェルトには感謝しています。


「死」というものを実感できるのか、どうかはまだ分かりませんが。

それをまだ、考え続けていこうと思います。


物語は人が生き続けていく上で、

血となり、肉となり、指標となってゆきます。

安田さんも、お忙しいとは思いますが

がんばって書き続けていって下さい。

 


ヌルさん


今回の一連のテーマは,


戦争は、人にどのような影響を及ぼしてきたか。

子供への愛情。 妻への愛情。


ということで.

恐らく,「何故人は争うのか?」などと並んで,もっとも難しいテーマの一つでしょう.

戦争はどのように影響を及ぼしてきたか?

大きく見れば,人の歴史は戦争の歴史.

戦争無くして人の発展はあり得なかった,と言うことになりますが.

しかしそれは大局的に見た場合.

個々に見た場合は,一部の権力者を除いて,憎しみ以外何も生み出さない.

一番あってはいけないモノでしょう.

一人が死ぬ.

一人を取り巻く多くの人が悲しみ憎しむ.

憎しみと共に闘う.

そうすると人がまた死ぬ…

その繰り返し.


そして,憎しむ故に,全ての感情が崩壊する.


精神がおかしくなりそうになる…


とのチェルトの描写がありますけど,そう言った点を非常に良く表していますね.


願わくば,戦争など本当に起こらない世にならんことを…


子供への愛情。 妻への愛情。


についてですが,正直,妻も子も持っていない私には,完全にはわかりません.

しかし,最愛の人を不慮な形で失った悲しみはいかばかりな物か.

想像の上でも,その悲しみの大きさはかなりのものでしょう.

最愛の人と別れるとき.

それはせめて,納得できる,願わくば笑顔で迎えられるよう…


なんかすっごくヘボい(特に「子供への愛情。 妻への愛情。」は経験無しも手伝って)

感想になってしまいましたね.

スイマセン.


以後の展開大いに期待します.


ではまた…

 

LATUさん


先日から僕もDQ3の勇者一人旅始めてみました!

名前はミシェル(女)で、性格は”ロマンチスト”でした。(笑)

(実はその後、お城に行くのごねてたらいつのまにか

”ひねくれもの”にされてしまっていたのですが やだったので

リセットしてしまいました!(爆))

まだようやくレーベに着いたとこですが・・・

おおありくいダイッキライですぅ!(泣)

全滅5回。

ほんとに大変ですねぇ・・・。

この先と、安田さんのご苦労が忍ばれます・・・。


さてさて、それでは感想に入ります。

前回からの続きで、ホビットさんのお話でしたけれど、

前回からはまったく想像もしていなかったお話でした。

特にショッキングだったのは第167話の

生まれてくるはずだった子供、というところでしょうか・・・。

”はずだった”という一言が、とても重く感じられました。

その時、ホビットさんが感じたであろう、とてつもない

喪失感がそこに込められている気がして・・・。

そして、安田さんの込められた想いも・・・。

そして、168話の”妻の想い”。

僕が勝手に考えたことですが、多分、この時、奥さんは

もう自分が死んでしまうことが分かっていたんじゃないか

と思います。

だから、ほうっては行けない、おまえを失うわけにはいかないんだ・・・

というホビットさんの言葉を聞いて・・・無理にでも、

子供の埋葬にいかせた・・・。

自分にはそれすらももう出来ないけれど、その子への想いを、

ホビットさんに託して・・・。


そして、もう一つ、今回は1人称を外れ、聞き手となっていた

チェルトの心。

何も言うことすらできずに、ただ、ホビットさんの話を

黙って聞きつづけることしか出来なかった、

この場での自分の無力さを感じているチェルトの

もどかしさ・・・、くるしさ・・・。

その状況を、あえてホビットさんに1人称を譲ったことで

ほんとうに印象的に書かれているなぁ、と思いました。

今回は特に時間をかけられてかかれたそうですが、

本当に、こういうところが、うまいなぁって思わされます。


ここまで、しばらくオリジナルストーリーが続いてきたわけ
ですが、

最初のころの、チェルトの成長日記のような感じと

また違った人の心の機微をかんじられたとおもいます。


次回からは、また冒険のたびに出るチェルトちゃん。

楽しみにしてますので、これからも納得のいく作品を書くためにも、

のんびりでいいですからがんばってくださいね♪



みなさん、感想ありがとうございます(^^)

 

文を読むこと(チェルトに限らず、小説、または

事件など、ニュースなどを見ることなど)人によって、

感じること、それは皆違うと思う。

 

そして、それについて議論するのは、

やはり考えが皆違うからどれが正しいということは出ないと思う。

 

ただ、普段考えないようなこと、

上で読者の方に頂いた感想のようなこと、

たまにでいいから、人って、考えるって大事だと思う。

 

もしかしたら、考えなくてもいいのかもしれない。

楽しいことだけ考えていればいいのかもしれない。

だって、悲しい気持ちなのだから。

 

でもね、こういう気持ちを感じるってことは、

つらい気持ちだけれど、同時に

”人を思いやる心”というのが自分に身につくと思う。

 

人は一人ではない。

一人では生きていけない。

人間って、人付き合いって本当に大事だよね。

 

人との付き合いは、どんなことをしていても、必要なこと。

学校に行っても、仕事に行っても、たとえプライベートでも。

常に人との付き合いは避けられないし、

人との付き合いが、人生で一番大事なことかもしれない。

 

それには、まず相手のことを気持ちを知って

相手のことを”思いやる心”をもたなければいけない。

 

上で、さっき、「悲しいことを考えなくてもいいかもしれない」

って書いたよね。

 

でも、もし、あなたの友達が悩んでいたら、

あなたはどう相談にのりますか?

 

自分に経験のあったことなら、相談にのれるかもしれない。

しかし、それが大きな問題だったら・・・・

人の死という大きな問題だったら、どうだろう?

相談にのれるだろうか。

 

人の気持ちをわかるってこと大事だと思う。

それは、自分にそういうことが起きると、

本当に心から実感する出来事だと思う。

 

仮に、そういうことが、自分になくても、

でも、一度、死とか、そういう深刻な問題を考えていれば、

相談にのれはしなくても、でも元気づけられることはできるかもしれない。

 

私が・・・・・・・何を言いたいか、わかるだろうか。

つまり、楽しいことばかり、考える人生ってとっても楽しい。

それでいいと思う。

でも、たまにでいいから、本当に偶にでいいから、

そういう深刻な問題について考えてみる必要ってあると思う。

本を読むなり、ニュースを見るなり、それによってどう感じるか、

”考えること””感情をもつこと”

これって、人間って、大切だよね。

 

ちょっとここのところ、暗いストーリーの連続だったので

次回は、ちょっと明るい物語でも書こうかな。


第174話 「いざ、アレフガルドへ」

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