<アリーナ姫の結婚>


1.サントハイム

(アリーナ)「それで、結局のところは、どうなってるんだ?」
(クリフト)「貴族の方々は、大きく分けると二派に分かれます。国内の貴族から選出しようとしている方たちと、国外の王族・貴族から選出しようとしている方たちです。宰相閣下は、後者寄りですね。ただ、二派とも、具体的に誰を選出するかということについては、意見が割れており、一枚岩ではありません。
 サントハイム教会は、中立を保持しています。国王陛下からの諮問に対しても、陛下と殿下の御心のままに、という回答を繰り返すだけです」
(アリーナ)「そうか。何か理由でもあるのか? 教会といえども、一つの政治勢力には違いあるまい?」
 アリーナは、あの魔王を倒す旅が終わって以降、帝王学関係の講義は真面目に受けるようになっていた(お裁縫とか料理とかは、相変わらずのサボリっぷりだったが)。だからこそ、そのような質問が自然と出たのだ。
(クリフト)「中立も一つの政治的態度です。事態は流動的ですからね。下手に口を出して、立場を危うくしたくないということのようです」
 実は、理由はもう一つあったのだが、クリフトはあえて言わなかった。この件について、教会の神官長に話を聞いたところ、次のように言われたのだ。
「この問題への深入りは、クリフト、あなたの立場を危うくする可能性がある」
 神官長のご配慮はうれしかったが、クリフトは憂鬱にならざるをえなかった。
 クリフトのことを望ましく思わない輩は少なくない。何を口実に今の地位から追放されるか、予断がならないのだ。
(アリーナ)「まあ、そんなものか。何はともあれ、親父の考え次第だな。その辺は?」
(クリフト)「この問題を先延ばしにするつもりはないようです。貴族方があれだけ盛り上がっていては、先送りも無理でしょう。それに、殿下は20歳になられました。これ以上の先送りはもはや限界だと、陛下もお考えのようです。
 ただ、具体的にどのような方向で結論を出そうとしているかについては、まったく分かりません。貴族方も、陛下のご意向についてはつかみかねているようでして……」
(アリーナ)「毎日、じいと密談してるようだけどな」
 じいというのは、彼女の教育係にして家老でもあるブライのことだった。
(クリフト)「その密談の内容がまったく伝わってきません。つまり、陛下は、この問題について主導権を手放すつもりはまったくないということです」
(アリーナ)「参ったな。どんな結論になるにせよ、主導権は私が握っておきたいんだが。ったく、親父も貴族どもも、私をなんだと思ってるんだ!?」
(クリフト)「姫様。それはいいすぎです。貴族方はともかく、陛下は、殿下のことをとても大切に思っているからこそ、御自ら解決なさろうとしているのですから」
(アリーナ)「分かってるよ、そんぐらい。でも、私に相談の一つでもあっていいはずだろ? じいとこそこそやって勝手に決めるなんてのは、納得いかん」
(クリフト)「ご意見は、陛下に直接おっしゃってください」
(アリーナ)「なんか、今日は言葉にトゲがあるな、おまえ。なんかイラついてるか?」
 クリフトは、慌てた表情になった。
(クリフト)「申し訳ございません。決してそのようなつもりは……」
(アリーナ)「いや、いいんだ。おまえにとって、酷なことを命じたというのは分かっている。すまなかったな。なにせこういう問題になると、信用できるのはおまえしかいなくなってしまう」
 クリフトに、各方面の動向をさぐるようにいいつけたのは、アリーナだった。
(クリフト)「ありがたきお言葉でございます」
(アリーナ)「しかし、こんな話ばかり聞かされてる憂鬱になってくるな。久しぶりに旅にでも出たいものだ。考える時間がほしい。なんかうまい口実はないか?」
(クリフト)「魔王を討伐した八大英雄でもあるご朋友の元への個人的なご訪問ということでいかがですか?」
(アリーナ)「おまえ、予め用意してたな、その答え。いつまでたってもおまえにはかなわんな。よし、それで行こう。余計なお供もつけずに、外に出るにはそれが一番だ。親父にかけあってくる」
 アリーナは、いうが早いか、自室を飛び出した。
 クリフトは、その後ろ姿を一礼して見送った。

 クリフト。現在22歳。幼いころから、才能を見出され、王宮の費用で神官学校に通った。神官学校は、主席で卒業。その後は、神官戦士見習いのまま。アリーナ姫とは乳兄弟で、その縁もあって、幼いころは姫の遊び相手。その後は、姫の従者兼護衛武官兼相談役(別名、姫様が巻き起こす騒動の後始末係)。そして、魔王を討伐した八大英雄の一人でもある。
 本来なら、神官戦士見習いのままであることがおかしい。王宮付神官としてかなりの地位に出世していてもおかしくない立場だった。
 だが、彼は、神官戦士見習いを卒業することをかたくなに拒んでいた。王宮付神官の地位と、姫の従者兼護衛武官兼相談役の立場は両立しえないからだった。
 彼は、現状の立場の保持を選択していた。
 姫が暗黙のうちにそれを望んでいるからでもあったが、彼自身の望みでもあった。
 幼いころから抱いていたアリーナへの思慕の念は、いまだに失われてはいなかった。
 だから、アリーナから下された今回の命令、「私の結婚問題について、勝手にこそこそと動きまわっている連中の動向をさぐってこい」というのは、彼にとって残酷極まりない命令にほかならなかった。

 アリーナは、父がいる部屋に向けて歩いていた。
 アリーナとて、クリフトの想いに気づいてないわけではなかった。いや、むしろ、かなり前から気づいていたといってもいい。だが、気づかないフリをしていた。
「この問題に深入りすると、クリフトを遠くに追いやってしまうことになるのではないか?」という懸念からだった。
 クリフトは、頼りになる側近だった。彼女の好むこと好まないことをよく心得ている。幼いころから彼女が巻き起こしてきた騒動も、彼が手際よく後始末してくれた。どうしても譲れない場合でない限り、彼女の我がままをかばってくれる。彼女のちょっとした我がままから生じる父や貴族たちとのいざこざも、なんとかうまく調整してくれた。
 公私両面にわたって、彼なしでは、彼女の生活自体が成り立たない。絶対に手放したくない側近だ。だから、彼が自分の元から追放されるような口実を作り出すことは避けなければならなかった。
 今、生じている結婚問題。避けて通れそうにもない。対応を誤れば、今度こそ、クリフトはどこぞに追いやられてしまうかもしれない。
 だから、彼女にしては珍しく、政治的状況を自ら統制しようと決意していた。
 まずは、状況を把握すること。それはクリフトに命じて、さきほど報告を受けた。クリフトにとっては、残酷極まりない命令であったに違いないが、それでも彼は忠実に任を果たしてきた。感謝の言葉もない。
 あとは、対応策を決定すること。そして、実行すること。
 実行することは簡単だ。魔王を討伐した八大英雄として、そしてカリスマ王女として、彼女の政治的立場は強化されている。いざとなれば、腕力で強引に押し切ることだってできる。
 だから、問題は、対応策をどうするかだった。味方がほとんどいない以上、自分で考えねばならない。それには時間が必要だ。
(アリーナ)「対応策か……」
 アリーナは、一人ごちた。
 対応策といっても、二つの側面がある。一つは、貴族たちや父への政治的な対応。これはいわずもがなのことだ。そして、もう一つは、クリフトとの関係をどうするか……。
 自分とのどうしようもなく半端で微妙で不可思議な関係のせいで、クリフトは長年苦しんできたに違いない。だが、子供である自分には、クリフトを側近としてそばに置き続けるにはこれしか方法が考え付かなかった。もちろん、それは自分の我がままに他ならないことは分かっている。だけど、どうしても彼を手放したくはなかった。
 だが、このどうしようもなく半端で微妙で不可思議な関係に一定の整理をつけねば、この問題の真の解決をみないような気がした。どんな形にせよ整理をつけねば、いらぬ政治紛争を巻き起こすことになりそうだし、何よりクリフトを一生涯苦しめ続けることになりかねない。
 あまりにも複雑な問題に発展してしまっているため、考えるのに時間が必要だった。
 父の部屋の扉の前にきた。
(アリーナ)「親父いるか?」
 乱暴に開け放つ。
(国王)「これアリーナ。ノックぐらいしなさい!」
 国王の傍らではブライが、渋面をつくって立っていた。
(アリーナ)「ああ、分かった、分かった。それより、私は明日にでも旅に出る」
(ブライ)「なんですと!」
(国王)「随分と急な話だな」
 アリーナは、クリフトからの入れ知恵の口実をそのまま口にした。さらに付け加える。
(アリーナ)「考えてみれば、ここ数年会ってない。ながの無沙汰は失礼だろ?」
 しばらく間、沈黙が部屋を包み込んだ。
 国王とアリーナのにらみ合いが続いた。あまりの迫力にブライも口を挟むことができない。
(国王)「分かった。行ってくるがよい。くれぐれも失礼のないようにな」
(アリーナ)「感謝いたします。父上」
 めったなことでは使わない口調でそういうと、アリーナは一礼した。
(ブライ)「そういうことであれば、じいもお供いたしますぞ」
(国王)「ブライは、ここに残れ」
 ブライは、驚愕の表情を浮かべた。
(国王)「家老殿には、大事な仕事があるのでな。ご朋友には、大変失礼したと伝えておいてくれ」
(アリーナ)「分かった。クリフトはつれてくぞ。あいつも、八大英雄の一人だからな」
(国王)「それは許可する」
(アリーナ)「それじゃ、失礼した」
 アリーナは、扉を乱暴に閉めてさっそうと去っていった。
 父は、もはや注意する気にもならなかった。
 アリーナは、小さくつぶやいた。
(アリーナ)「親父め。旅が口実にすぎないことを悟ってたな」

(ブライ)「よかったのですかな?」
(国王)「あいつはあいつなりに状況はつかんでおるのだろう。少し考える時間を与えてやってもよいのではないか」
(ブライ)「そうですな」
(国王)「では、話の続きだ」
(ブライ)「貴族の意見は、先ほど申し上げたとおり大きく二派に分かれておりますが、それぞれがさらに細分化しており、意見がまとまっている様子はありませんな。教会は中立を維持しておりますし、今のところ外国の王家や貴族たちは事態を静観している模様で積極的にかかわろうとはしておりませぬ。
 つまり、この問題について、陛下が主導権を握ることは充分に可能です」
(国王)「では、そなたの意見をうかがおう」
(ブライ)「外国の王族や貴族を迎える案は、危険でございまするな。姫のあの性格からして、強引に婚姻を結んでも、気に入らなければ、離婚ということになりましょう。婿殿の祖国との関係が悪化いたしまする。軟弱な王族や貴族の中に、姫がお気に召すような方はいらっしゃるまい」
(国王)「国内の貴族でも、それは同様というわけだな」
(ブライ)「御意。王家と貴族が対立するようなことになりかねないですな」
(国王)「あいつが気に入るような者となると、それなりに武術の心得が必要になる」
(ブライ)「姫様を超える者となると、限られますな。勇者殿とライアン殿ぐらいですな」
(国王)「その二人はどうなのだ?」
(ブライ)「勇者殿には、既に想い人がいらっしゃいまする。ライアン殿は、バトランド王家への忠誠を捨てることなどできぬでしょう。何より、年が離れすぎておりまする」
(国王)「ならば、候補はいないということか?」
 ブライは、一回だけ深呼吸をした。いくら家老とはいえ、この意見を述べるのには多少の勇気が必要だった。
(ブライ)「一人だけおりまする。姫様を超えるとはいかなくても見劣りしないだけの武術の心得があり、誠実な人柄に定評があり、頭もよく、政治的な能力も優秀で、姫様がお気に召す可能性のある人物が」
(国王)「誰じゃ?」
 既に国王の耳にも、風評は入っているはずだった。
 下級貴族の出身でありながら、王家の人々に接触することの多い、侍従や侍女。活発極まりない姫君が接触することの多い、門番などの兵士、教会の神官、平民出身の厨房の料理人、その他の使用人たち。政治的影響力こそ皆無であるが、貴族たちなどよりよほど冷静に王宮の状況を把握している彼ら。
 その彼らが、まことしやかにささやいている風評を。
 この風評を知らぬのは、おそらく当人である二人だけだろう。
 姫様が、お気に召して婿にとる可能性があるとすれば、それはただ一人。

 夜、多くの者が寝静まったころ、クリフトは密かにブライのもとに呼び出された。
(ブライ)「夜遅くにすまぬな」
(クリフト)「いえ。して、ご用件は?」
(ブライ)「クリフトよ。おぬしは、今後どうするつもりなのじゃ。いつまでも、このままでいるわけにもいくまい」
(クリフト)「そうですね。私のもとにもいろいろと話は聞こえてきております。姫様のご婚姻が決まりましたら、修行もかねて聖地巡礼の旅に出ようかと」
(ブライ)「その旅が終わった後は?」
(クリフト)「どこかの国の教会の神父にでもなれたらと思います。可能であれば、ゴッドサイドで修行を積みたいという希望もありますが」
(ブライ)「欲のない奴じゃな。おぬしなら、サントハイム教会でかなりの地位につけるぞよ。そんなにサントハイムは嫌かのう」
(クリフト)「いえ、そういうわけでは。ただ、ひとところにとどまっていては視野が狭まります。いろいろなところで修行を積むことこそ、神の道を究めるに最適の方法かと」
(ブライ)「もっともらしい口実じゃな」
(クリフト)「はて、口実とは?」
(ブライ)「このわしにまで、建前を通そうとしても無駄じゃ」
 クリフトは苦笑を浮かべた。
(クリフト)「分かってますよ。でも、私の立場では、建前を通すしかなすべきことがありませんから」
(ブライ)「本当に不器用な奴じゃ」
(クリフト)「ご用件はそれだけですか?」
 ブライは、しばし間をおいてから口を開いた。
(ブライ)「おぬしに、国王陛下からの命令を伝達する」
(クリフト)「陛下からですか? 恐れ多くもこのクリフト、陛下直々のご命令を拝するような立場では……」
 ブライは、クリフトの言葉を完全に無視した。
(ブライ)「第一命令、アリーナ殿下の八大英雄ご訪問の旅に同行せよ。第二命令、その旅の間に、アリーナ殿下に自分の想いをすべて打ち明け、アリーナ殿下と相思相愛となれ。命令を完遂できなかった場合には、サントハイム領から永久追放とする」
 クリフトは、呆然と立ちすくむばかりだった。

 翌朝。
 アリーナは、侍女に手伝われながら、嬉々として、旅の準備にいそしんでいた。
 クリフトも手伝う。だが、彼にはいつものような手際よさが見られない。ときどき手が止まって、ぼうっとしている。
(アリーナ)「どうした、クリフト? なんか朝から変だぞ」
 クリフトは、ビクッと顔をあげた。
(クリフト)「あっ、いえ、その……久しぶりにかつてのお仲間とお会いするかと思うと、昨晩はよく眠れませんでして……」
 その発言の中で、真実は「昨晩はよく眠れませんでして」の部分だけだった。
(アリーナ)「そうか、寝不足か」
 クリフトは、大きく深呼吸した。動揺を悟られてはならない。
 そうこうしているうちに、旅の準備は整った。
 最初の目的地は、モンバーバラ。
 キメラの翼を放り投げた。
 その様子を窓から見ていた者が二人。
(国王)「行ったな……」
(ブライ)「サイは投げられましたな。さて、どういう目が出ることやら……」

 一部の者にしか知らされてなかったアリーナとクリフトの旅立ちは、王宮内を騒然とさせた。
 口さがない連中は、こう噂したのだった。
「姫様とクリフトさん。このまま駆け落ちでもしちゃうんじゃ……」
 その噂が貴族たちの耳に入るや、その真意を問いただそうと、国王のもとに貴族たちが殺到することとなった。

第2話 「モンバーバラの姉妹」
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