ヘンリーが、紙があるのなら尻を拭くのにでも使えなんて冗談をいう。が、結局
彼も書く事にしたようだ。むかし脱出計画を書いた紙が見つかってから、物を書
く事さえ禁じられていたが、このごろは少し緩やかになったようだ。さすがにき
びしすぎるとかんじたのだろうか。
あるいは。
工事の完成が近づいているようだ。それにともなって奴隷は皆殺しにされるとい
う噂がある。少なくとも解放されるという言い草は誰も信じていないが、こうや
って物を書く事ができるというのは、遺言状ぐらいは許してもらえるという事な
のだろうか?
昔の事をだいぶ思い出してきた。
日記をもらった次の日にビスタの港に着いた。船長や船員が甲板からいっせいに
敬礼してくれたのを覚えている。たった2人のためにあそこまでしてくれたのが
すごく印象に残った。
その後父さんは何やら港の人と話し込んでいて、まだ幼かった(確か6歳だった)
僕はふらふらと外に遊びに出た。すると、魔物に出くわしてしまった。今思うと
よく泣かなかったと思うが、そのせいで父さんが気づくのが遅れた。怪我はほと
んどしていなかったが、魔物に囲まれ、心底恐怖した。
父さんが飛び込んできてあっという間に魔物を蹴散らし、僕にホイミをかけた後
こう言った。「魔物はやっつけたぞ。もう泣いても大丈夫だ」
日頃、泣いてるひまがあったら戦え、という父さんがこんなことを言うのだ。僕
は、恐かったからではなく、父さんの優しさに涙を一粒浮かべた。父さんは気づ
かないふりをしていた。
サンタローズまでは半日がかりだった。村につくと、みんな一様に驚いた顔をし
て、そのあと歓迎してくれるのだった。あれは本当に村を挙げてと言ってもいい
くらいだった。教会の神官は少々羽目を外しそうだったし、確か武器屋の店主だ
ったか、照れくさそうに、「あんたとは喧嘩ばかりしていたが、帰ってきてくれ
て嬉しい」と言っていた。
みんなが懐かしい。いい人たちばかりだったと思う。
今書いていて気がついたが、この歓迎ぶりは何だろう?
当時は当たり前のように思っていたが、今こう書いていて、こんな人物はまずそ
うはいないものだと言う事に改めて気がつく。「あんたの父さんは、ただ者では
ない」と誰もが言うが、父さんの事を、実はあまりよく知らないのだ。
ちょっと考え込んでいる間に、就寝時間となった。