時が・・・・・人を・・・・・変えるか・・・・
人間が、成長する要素、影響される要素。
いろいろあると思う。
何からか物を与えられ、何からか影響され、何からか、学ぶ。
また人間が変わる要素
これもいろいろあると思う。
自分が知っている人、どんなに理解している人だと思っていても、
人間が完全に理解しあえることは、難しい。
であるが、限りなく理解しあえることは可能であると思う。
時をはさむことにより、共有できない時間が発生する。
その共有できない時間に、人間はそれぞれの経験をつみ、
成長する要素、もしくは、影響する要素がはさまれ、
人を変える。
と、同時に、相手から見ると、相手からこっちが、
共有できない時間があるわけで、自分も変わっているように見える。
人は出会いと別れを繰りかえし、
共有できる時間と共有できない時間を上記のようなことで繰り返し、
次に出会うときに、新たな人格を形成するように見える。
表現。
言葉と心。
裏と表。
表現。言葉と心。
自分の思うことを、言葉にするということはすごく難しいことだと思う。
文字に表せない感情。
それを人は、顔の表情や、声のトーンでうったえかけるのかもしれない。
人には表と裏がある。
裏とは、その人の純の心。
表面上見せている表の姿と、心の奥底で思っている裏の純の姿。
なかなか、心の奥底に眠っている、裏の姿を人に出すのは、難しい。
そして、裏の心を他人に見せたくないものだ。
人間が意識的に経験で変えられる要素というのは、
表の部分であると私は思っている。
考え方、信念、
これらの要素は、表なのか、裏なのかという定義は難しい。
が、考え方、信念をもって行動する部分は表であるため、
本当の裏というのは、「変わる」というより、
以前のものを経験をつんで、「重厚になる」ものだと思う。
そして、裏の純の心の姿を知っている人が、
裏を隠していると、不思議に思う。
人は、それを、長い時が人を変えたというが。
それは、そうではなく、相手にとって、自分は、
裏を見せてくれるほどの人間ではありえなかったのかと。
時は・・・・あまりに表を変えすぎていた。
しかし、それは、本当に時のせい?
裏はかわらないと思う。
しかし見せ掛けの表しか見えない。
裏の純な心が見えない。
それは、本当に時のせい?
それとも、支えてあげられなかった人間の器が小さかったせい?
今は、自分を支えるものがある、
相手も支えてくれるものがあるはず、
もう互いは必要ない存在なのかもしれない、
しかし、時をはさんでも、”純な裏”は変わらない、
絆、間柄はかわらない、そう思う。
今でもそう信じている。
かなり久々のマジ日記、抽象的に書いてみた。
大事であった人への一人へのメッセージ。
届くといいな。