2001年を振り返って

明日は2ヶ月ぶりに病院に行ってきて
例の腎臓検査いってきます。
めんどくさいけれど、検査くらいいかないとね。
それにしても、もう今年も1年終わりだね。
最近、考え事もする時間もなかったほど、
仕事で始まり仕事で終わるという感じだったので、
いざ時間ができると、
あぁ、もう一年終わるのか
とか、
今年もいろいろあったねぇ
とか、
ミディリン運営して4年たったなぁ
とか、
いろいろ考えてしまうですよ。
常に全力疾走、わき目もふらずまっしぐらO型性格丸出し
そしてちょっと息切れして後ろを振り返ってみたりして。
今まであったことを思い出すってことってあるよね。
毎度のことながら12月は、
そういうことを振り返るにはいい時期だと思う。
その振り返ることは、自分のことでもいいし、
周りの人のことでもいいし、
世間一般のニュースでもいい、
今まであったことを再認識して、
一度心に刻み付けたりすることって必要かもしれないよね。
自分のことを振り返るには、
日記を読み返せば、そのことがわかる、
日記は貴重な財産だと思う。
毎年毎年、その年を振り返ると
その年に強烈に思い出に残っていることっていうのが
あるかないかで、きっとその年を
自分がどうやって過ごしていたかという印になるのかもしれない。
ということで、今日の日記はマジメに今年一年を振り返ってみようかと思う。
大きくまとめると今年
(1)自分の中の出来事(ミディリンのことも含めて)
(2)周りの中の出来事
(3)社会的な出来事
で、心に残っていること、この3つについて振り返ってみた。
まず、(1)の自分の中の出来事について振り返ってみた。
今年私が感じたのは会社のこと(会社つぶれて再就職したこと)とかあったのだが、
自分自身、人間として成長した要素はそこそこ今年もあったかと思う。
以前は、結構感情を一面にそれしか考えない節があったのだけれど
(今も感情を一番に大切に行動をしているけれど)
一歩ひいて、少し冷静に一度考え直して
それで行動をすることを自分では心がけた年でもあった。
そういうところは、私生活でもそう気をつけたし
ミディリンの運営でもそういうことを心がけていたので
例えば荒らしの一件がおきたときも冷静に状況を判断して対処を行い
自分ではできたのではないかと思っている。
「一歩ひいて少し冷静に判断して行動」
その副産物として、感情だけで行動することも以前より少なくなったので
若干忍耐力もついたかもしれない。
一方、課題としては、残ったことというのは
”最終的な自分の理想を見出すことができなかったこと”だと思う。
常に充実して、やりたいことをし、そして後悔しない人生を
送っているつもりではあるのだが、
自分が、最終的に目指す理想、生涯通じてやり遂げてみたいこと、
それが自分の中で見つけることができなかったことかもしれない。
なんというのか、ミディリンの運営もあるし、
会社で生活をするために働きもする、
そして、その両方が、自分にとって
ミディリンは今まで作り上げていたコンテンツだから愛しているし、
会社の仕事も技術が身につくので、いいと思っている、
ただ、それはあくまで、日々の出来事の生きがい・楽しみであって
一生を通して最終的な目標・やりとげたい何かではないと思うのね。
その何かを自分の中で見出すことが今年できなかった、
それが今年の1つの課題であったかもしれない。
次に(2)周りもずいぶん変化したなっていうのが
自分にとって一番思い出深いことが今年は2つあった。
1つは、去年親友の一人が失踪をしてしまって
一切連絡がとれなかったことがあり、
去年のいつぞやの日記でちらっと書いたような気がしたのだが、
それから数ヶ月後、今年になってその人の弟に連絡をとることができ、
そこから、その人に連絡をとることができたこと、
そしてその人が今でもがんばっていて、
今でもたまに連絡をとりあえたこと、
これは自分の周りであった出来事の1つで大きかったことだと思う。
もう1つはこちらも数ヶ月前になるのだが
以前私にはプロポーズをしていた女性がいたのだが
(もう2年以上前になるかな)
自殺もせず、無事生きていることがわかって、
結婚を今度することになったことだった。
たまたま、ネットサーフィンをしていて、
そのときにとあるサイトを見ていたのだが
プロフィールを見ていて、ハンドルネームしか掲載されていなかったのだが
性格やその人の掲示板の話し方などを見ていて、直感したものがあったので
メールを出してみたら、案の定その人だった。
(メール出して違う人だったらやばかったけれど)
無事生きていてくれたこと、そしてその人はその人の人生を歩み
幸せでやっていることを知ることができたのは大きかったかもしれない。
私がその人を幸せにできなかった分、その人にはこれからも幸せになってもらいたい。
この2つが、今年、自分の周りで起きた出来事では大きかったかもしれない。
次に(3)の社会的なニュース、
これは、やはりあのテロの惨劇だろう。
ミディリンの掲示板でも、この事件のことは結構話されたか、
もちろん、歴史上、テロの事件よりたくさんもの罪もない人が死んでいる例は
いくらでもある。
その一番大きな例が、戦争だろう。
しかし、私たちの世代は戦争を経験していないので、
その戦争を経験して、回りでたくさんの命が失われた人の気持ちがわかると
安易に言ってしまうのは、
実際に戦争を経験してきた人たちには非常に失礼だと思うし、
私たちも真剣に考えなければいけない問題の1つなのではと
私も思うのである。
マスコミの過激な放送もあるのだが、
一つ感じたのは、
今回の事件がおきて
では”日本はどうなのか”ということが盛んに言われたことだった。
もちろん、その気持ちも私にまったくないかというとそれは嘘になるし
ここは日本なので、自国を心配する気持ちもわかる、
しかし、”日本はどうなのか”ではなく、
やはり”命は平等”であり、実際にたくさんの人が殺されているわけであり、
実際に、あれだけの事件が放映された直後に
”日本は安全なのか”と自国のことを真っ先にしか考えられないということと
それを”ネタ”にして、面白おかしくしている人たちが
私はちょっと理解しがたいものがあった。
”人の生死”については、
チェルトでも、気まぐれ日記でも
何度も触れていることなので、あえて書くことはないと思うが
まず、”死”について、
もし、自分が、何も悪いことをしていないのに
殺されてしまったら納得いくのか?
それを一度真剣に考えられた時、それを人事のように
考えられないのではと私は思うのである。
で、”生”について。
結局、人間、自分に否がなくても、
簡単に命を落としてしまうものなのかしれない。
だからこそ、漠然と生きるのではなく
生きる目的を見出すのではと
(なんか、チェルトで、不死鳥ラーミアのあとがきみたいになってしまった)
思うのである。
以上、自分にあった出来事、周りにあった出来事、社会的な出来事
この3つを今日は振り返ってみた。
今日はげっちゅうぺーじ更新&FF小説第2弾、第4話まで執筆完了。

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