Ⅳに登場するキャラクターの中で私が大嫌いな奴、それがマスタードラゴンです。
まず腹が立つのは、天界の?掟を破った勇者の両親に対する処遇です。きこりだった父親は電撃で殺され、天空人の母親は泣く泣く連れ戻されたそうですが、おいおい、それはちょっとおかしいんじゃないですか。なんですかこの処遇の差は。
掟の正当性うんぬんはいいとして、この場合罪の重さで言えばむしろ与えられる罰は逆であってしかるべきでしょう。天界の掟はまず天空人にこそ厳しく適用されるべきです。それなのに地上人は有無を言わさず死刑、天空人は強制送還されたとはいえほぼお咎めなしとは、納得がいきません。そんなに身内が可愛いんでしょうか。
このように、自分より弱いものに対してはまさに神として傲然と振舞うマスタードラゴンですが、ひとたび強敵が現れると途端に態度をひるがえして腑抜けになってしまいます。自分の力が及ばないと見るや天空城に引っ込んでしまい、しまいには自らは手を汚さず自分が殺した地上人の子供に世界を救ってもらうしまつ。お前は何のために存在してるんだと言いたくなります。天空城にふんぞり返って弱いものを虐めることしかできないのかと。
さらに、世界を救った勇者に対する言葉です。「もう地上なんかにいなくてもいいだろ」的な発言、勇者に父の敵と毎日面つき合わせて暮らせとでもいうつもりでしょうか。もう正気の沙汰とは思えません。もっとも、それに気付いたからあの後マスタードラゴンは何かと理由をつけて勇者を地上に追い返したのではないかとおもいます。もしかしたら、あのとき勇者の目には憎しみの光が灯っていたのかもしれません。
哀れなのは勇者です。父の仇にいいように利用され、地上に帰った勇者を待っていたのは、荒れ果てた故郷の村だけでした。最後の幸福なシーンは夢だったと考えるのが妥当でしょう。シンシアが生き返るのはともかく、あのタイミングで導かれし者たちが現れるのは不自然すぎます。あのあと勇者がどうなったかは分かりませんが、有毒な水溜りにざぶざぶ入っていったなげやりさといい、ぺたっと座り込んだ脱力感といい、私にはあのシンシアがあの世からのお迎えに見えて仕方ありません。死ぬ直前に見た幻だったのではないかと推測します。よってここからは勇者があの場で死んだという仮定で話を展開させていただきます。
そう考えると一つの疑問が湧きます。なぜ勇者は死んだのでしょう。役目を果たして力尽き……というのは納得できません。戦闘で死んでも(場合によっては)生き返らせることができる世界でそれはないでしょう。肉体的ダメージは宿屋で一眠りすれば回復できるはずです。
私はマスタードラゴンが怪しいと思います。旅の途中で全滅したとき、マスタードラゴンは勇者達を何度でも生き返らせました。そのとき勇者に与えた命を抜き取ったのだと考えます。
勇者を殺した動機は二つ。一つは単純に用済みになったからです。マスタードラゴンは再び命を与える際「まだ死ぬときではない」と言う趣旨の発言をしておりました。これは意味深な言葉だと思います。ことがすんだら死んでもいいという心根が透けて見えます。
二つ目の理由としては、勇者の父を殺しているという自覚が産んだ猜疑心が原因ではないかと思います。自分より強くなった勇者が仲間を引き連れ父の敵討ちにやってくることを恐れたのでしょう。その他の連中には率先して彼を脅かす動機がありませんし、勇者さえ死ねば天空城に入ることもできませんから問題にしなかったのでしょう。
「狡兎死して走狗煮らるる」といいますが、勇者の死はまさにそのとおりだと思います。最期のいい夢は卑怯なマスタードラゴンの罪悪感が見せたせめてものサービスだったのかもしれません。
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